福井県坂井郡坂井町上兵庫。。。京福電鉄下兵庫駅前
オオババサマ・母は19歳で国鉄職員の父と結婚しました。
昭和30年、戦後10年でした。
私はその年の12月に生まれています。
その当時は木曽川町の母の実家に間借りでしたが
しばらくして、愛知県、国鉄清須駅から、徒歩20分ほどのところの
借り上げ社宅に転居。
そこは私たちは「分地(ワケジ)」と呼んでいましたが
正式な住所表示はなんだったんでしょう。
お隣が大家さんで大森さんでした。
大きなお家で、離れにおばあちゃんとお姉ちゃんがいました。・・・たぶん。
私はそのお姉ちゃんに可愛がってもらいました。
大森さん地が借家用に敷地内に立てた家をお借りしてたのかぁ。。。
畳の部屋が2つと台所とお風呂と、トイレはお外にありました。
家の周りをぐるっと生垣がありました。
そこで、亡くなった妹と、腕白坊主の弟が生まれました。
妹は早産で3ヶ月で肺炎で亡くなりました。
その下の弟も生まれて、父はずっと東海道線、山陽本線と電化工事で単身赴任でした。
そして、昭和36年の秋に福井県坂井郡坂井町上兵庫に引っ越しました。
またもや、借り上げ社宅で、廃止になった上兵庫の駐在所の後でした。
北陸本線の電化工事と思います。
38年、39年の北陸豪雪の時でした。
京福電鉄は止まってしまって、福井駅から父が豪雪の中を線路を1日かかって歩いて帰ってきました。
この上兵庫での思い出はたくさんあります。
オオババサマが25歳から29歳ぐらいのことです。父が33歳から37歳ぐらいでしょうか。
私は小学校始まって以来の転校生でした。